ハピエコ・オリジナル小説

エコショート 第2話「思い出の渚(なぎさ)」

「どうだい、あの海岸へ、旅行にでも行かないか?」
「いいわ。」

妻は言葉少なに答えた。
男は突然、熟年離婚を迫られ、動揺していた。
男の頭に浮かんだのは、昔、あの海辺のレストランで食べた思い出の料理だった。
どこまでも続く白い砂浜、寄せるさざ波、
そして、イタリア人シェフが作った 『白い浜辺のランチセッ ト』 …。
あの頃は、二人とも若かった。あの料理を、海風に吹かれながら
もう一度二人で食べてみたかった。
確かに、最近は仕事や雑用に追われて、家庭を顧みていなかった。
でも、やり直せるものならやり直したい。
男は淡い思いを抱きながら、妻と海辺の駅に着いた。
駅前の売店で聞くと、その店はとっくに無くなっているという。
妻はもう帰ると言い出した。
あわてて、その店のその後のことを聞いて歩くと、タクシーの運転手が教えてくれた。
そのレストランは、前とは違う場所で、今でも営業しているらしい。
男は気のすすまなそうな妻をなだめながら海の見える丘の道を登った。
するとそこに、白い洋館がたたずんでいた。

建物は以前より立派になっており、メニューも前より増えていた。
男の心にわずかな希望の光が差し込んだ。
だが、その中に当時の思い出のメニューは見あたらない。
「なぜ、『白い浜辺のランチセット』 は、無くなったんですか?」
すると、年老いたイタリア人シェフは、無言で、はるか下の海辺を指差した。
―ここ数十年の温暖化による海面上昇で、浜辺はすべて海の中に消え、
そこには、切り立った崖しかなかった。
大きな岩に砕け散る波があるだけだった。

もう、あの夢のような白い浜辺は二度と帰らない―。
妻はさびしく微笑むと、そのまま去っていった。

男は失ったものの大きさに動くこともできず、ただ海風に吹かれるだけだった。